かきながら考える

とりあえずやってみよう

批判は受け流し、やるべきことを粛々とやっていく

生きていくうえで批判にさらされる場面というのは絶対にやってくるだろう。

その場面で心に置いておかなければならないことがいくつかある。そのいくつかを今回は記事にしていこうと思う。

 

まず、一番大事なことはこれは少しタイトルとずれるかもしれないが、

『人を批判しない』ということ。

批判してもいいことはない。相手に嫌われるし、自分も罪悪感でいっぱいになる。

 

こう言いながら自分は批判していないのかといえば批判しまくりの人生である。それを変えるためにもここに書いている。批判することにより、成長するという場面はある。自分自身も批判にさらされて成長した部分がある。しかし、自分の人生を振り返ったときに今の自分があるのはなんのお陰かと考えたら、それはほめられた長所を伸ばしたからこそ今の人生があると感じる。

 

批判にさらされ、自分自身をできる限り改善したことにより、今の自分があるという側面はあるかもしれないが、明確に自覚することはできない。

 

批判にさらされたときによく思い出すことは北風と太陽の話である。

旅人のコートを脱がせようと寒い北風をあびせてもコートはぬげない、温かい太陽の日光により、コートを脱がせることができる。

 

 

これはカーネギーの『人を動かす』の本のでのいわれている内容に通じるところがあると思う。

まず、人を批判しない、褒めることで人間関係を構築するというのが第一である。

 

次に、批判にさらされたあとどうすればよいか

批判は受け流す

これが大事だと思う。これがなかなかむずかしい、人の批判というものは結構グサッとくるものだ。私も批判されグサッときたことは何べんもあるし、グサッとさしてしまったことも多々ある。生きてきた人生を振り返ればグサッとさしたほうが多いような気がする。めちゃくちゃ反省しているし、これからもできるだけそうならないようにしていきたい。ただ、根っからの批評家気質が人や物を斜めから見てしまい、それが正しいとおもっているから、なかなか治せない。

 

今書いている間も批評、批判は必要だと思っている。だからこそ、人間はなかなか変われないと悲しい気持ちにもなる。

 

そのうえで、私自身もいえるが、例えば私がだれかを批判して、その人がそれを真に受けて成長したとする。私はうれしいが、それが果たして、その人にとって、世界にとって正しかったとだれが証明できるのだろう。批判してくる対象との信頼関係が重要になってくるが、信頼関係のない相手との会話における、批判は無視してよいだろう、だって相手のこと知らないんだし。

 

やるべきことを粛々とやっていく

 

批判は無視して、自分のやるべきことをやっていくのが正しいみちである。イチローは日米通算4000本安打を打った。途中様々な批判をうけた。自分中心だとか、そのときにイチローが批判を受け入れ、違う道に進んでいたら、4000本安打は達成されなかったかもしれない。

 

人を批判せず、

批判は受け流し

やるべきことを粛々とやっていく

 

ありがとうございました。